聖霊に対する冒瀆は赦されない – 兄弟を傷つけておきながら,謝罪も和解も拒み続ける或る人物について

聖霊に対する冒瀆は赦されない – 兄弟を傷つけておきながら,謝罪も和解も拒み続ける或る人物について

『カトリック教会のカテキズム』 1864 段落において,マタイ福音書 12,31 におけるイェス様の言葉の引用とともに,こう述べられています:

「あらゆる罪や冒瀆は赦される.しかし,聖霊に対する冒瀆は赦されない」(Mt 12,31). 神の慈しみは無限である.しかし,神の慈しみを悔悛によって受け入れることを敢えて拒むなら,それは,自身の罪の赦しと聖霊が差し出す救済とを拒むことである.さような頑なさは,臨終の不悔悛と永遠の滅びへ至り得る.

つまり,「聖霊に対する冒瀆」とは,神の愛の恵みを拒むことです.そしてそれは,隣人愛をないがしろにすることを包含しています.

なぜなら,「わたしは神を愛していると言いながらも兄弟を憎む者は,嘘言者である.実際,目に見えている自身の兄弟を愛さない者は,目に見えない神を愛することはできない」(1 Jn 4,20-21) からであり,かつ,「イェスはキリストであると信ずる者は,神から生まれたのであり,そして,生んでくださった神を愛する者は誰しも,神から生まれた[ほかの]者をも愛する」(ibid., 5,1) からです.神を愛することと隣人愛とは相互に等価的です.

ですから,イェス様はわたしたちにこう勧めています (Mt 5,23-24) :

かくして,祭壇に献げものをしに行くときに,兄弟とあなたとが何ごとかで対立していることを思い出したなら,献げものを祭壇の前に放置して,まずは兄弟と和解しに行きなさい.次いで,捧げものをしに戻って来なさい.

もし和解を拒むなら? イェス様は譬えを用いて次のように答えています (Mt 22,11-13) :

王は,息子の婚宴に招かれた人々を見るためにやってくると,礼服を着ていない者に気づいた.王は彼に言った:「我が友よ,どうして礼服を着ずに来たのだね?」 その者は黙ったままであった.そこで王は仕える者たちに言った:「その者を,手足を縛って,外の暗闇へ放り出せ: そこで泣いて歯ぎしりするしかあるまい」.

実際,『カトリック教会のカテキズム』 1861 段落でもこう述べられています:

愛がそうであるのと同様に,大罪も,人間の自由のひとつの根源的な可能性である.大罪は,愛の喪失と,聖なるものとする恵み – すなわち,恵みの状態 [ status gratiae ] – の剥奪とをもたらす.悔悛と神の赦しとによって贖われなければ,大罪は,キリストの御国からの排除と地獄での永遠の死とを惹起する.我々の自由は,取り返しのつかない決定的な選択を成す能力を有しているのである.

そして,『カテキズム』 1415段落ではこう規定されています:

聖体拝領においてキリストのからだを受けたい者は,恵みの状態 [ status gratiae ] にあるのでなければならない.大罪を犯したことを意識している者は,あらかじめ悔悛の秘跡において赦しを受けていなければ,感謝の祭儀に与ってはならない.

つまり,隣人愛をないがしろにしながら和解しようとしない者は,恵みの状態を剥奪されているのですから,御ミサに与ることはできません.

さて,去る 7月17日,第一回 LGBT 特別ミサの後に行われた分かち合いの集いにおいて,或る人物が同席の兄弟のひとりを心ない言葉でひどく傷つけました.その場にいたほかの者たち皆が,その事件の証人となるでしょう.

傷つけられた人は,口論することなく,すぐさまその場から立ち去りました.LGBT カトリック・ジャパンの共同代表のひとり,宮野亨氏が会場の玄関口で彼に必死で謝り,そして,わたしの妻が最寄りの駅まで彼に付き添いました.

ところが,その人を傷つけた心ない人物は,何の反省の色も謝罪の態度も示しませんでした.

司会役をしていたわたしは,集いの雰囲気をそれ以上悪化させないために,その場で彼を戒めることはせず,数日後に,誠意を以て謝罪と和解の態度を被害者に対して示すよう彼に勧告しました.しかし,彼は応じようとしませんでした.

問題の人物は,この幾年来,ほかの幾つものグループにおいて同様のトラブルを起こしてきており,その都度,何の謝罪も和解もしようとしないので,それらのグループすべてから排除処分を受けてきています.そのなかには,或るプロテスタント共同体も含まれます.

本年 4月,Tokyo Rainbow Pride 2016 の数週間前,問題の人物は, LGBT カトリック・ジャパンの Facebook ページに,そのプロテスタント共同体を主宰する牧師に対する攻撃的な言葉を書き込みました.わたしは彼にキリスト者にとっての和解の重要性を指摘し,その牧師との和解を勧めました.すると彼は,わたしの勧めを拒否したばかりか,わたしに対する逆恨みの言辞を LGBT カトリック・ジャパンの Facebook ページに書き込み始めました.結局彼は,Tokyo Rainbow Pride の LGBT カトリック・ジャパンの出店にも姿を現しませんでした.

LGBT 特別ミサは,保守的な人々により妨害されることのないよう,非公開となっており,参加希望者は必ず事前の申込をするよう公示してありました.ところが,問題の人物は,幾人かの知人とともに,7月17日のミサに,申込無しでやってきました.いずれも顔見知りではあったので,わたしも宮野亨氏も彼ら・彼女らを拒絶せず,むしろ歓迎の態度を示しました.ところが,その結果が上述の事態です.我々の彼ら・彼女らに対する受容的な対応のせいで,初めて出会った兄弟のひとりがひどく傷つけられることになってしまいました.

この心ない人物は以前,「今までにも幾つものグループをつぶしてきた」と豪語していました.彼が悪意を以て LGBT カトリック・ジャパンの活動に対しても嫌がらせをしようとていたのかを彼に直接確認することは,敢えてしていません.

いずれにせよ彼は,兄弟愛をないがしろにして,何の反省の意も示そうとしません.つまり,敢えてみづから神の愛の恵みを拒絶し,聖霊を冒瀆しています.そのような者は,上に見たように,「悔悛と神の赦しとによって贖われなければ」,神の愛の宴に参加することはできません.したがって,LGBT カトリック・ジャパンとしても,この心ない人物の参加を今後は断らざるを得ないと判断しました.

8月28日の特別ミサに,問題の人物は事前に参加を申し込みませんでしたが,前回と同様,申込無しにやってきて,入場を強要する可能性が危惧されました.主催者側には男手は宮野亨氏とわたししかおらず,ふたりとも御ミサの侍者や進行役をするため,もしトラブルが起きても対処しようがありません.

そこで,彼が会場に無理やり入ってくることのないよう,警備会社に依頼して警備員二名を派遣してもらいました.彼が実力行使をしようとしても,警備員が二人で通せんぼうをすれば大丈夫でしょうから.また,彼が後から「からだが触れた」等の言いがかりを我々につけてくる事態を未然に防ぐためでもあります.

警備員を二名派遣するよう依頼したのに対し,その二人がまだ警備の仕事の初心者であり,上司が彼らに同伴したため,結果的に三名の警備員が会場の建物の出入り口を守ることになりました.いずれにせよ,彼らには私服姿で来てもらっていたので,そうと言われなければ警備員とはわからなかったはずです.

警備員として派遣される人々は,職務に必要な専門的訓練を事前に受けており,問題の人物がふるうかもしれない暴力に対して有効かつ合法的に対応するすべを心得ています.警備員の方が彼に対して積極的に違法な暴力をふるうことはあり得ません.

いずれにせよ,問題の人物は 8月28日の特別ミサ会場にみづから姿を現すことはありませんでした.しかし,彼の知人のひとりがやってきました.その人物は,事前の参加申込をしていませんでしたが,顔見知りではあったので,わたしは,ミサに参加するようその人物をその場で招待しました.しかし,その人物は会場内に入ろうとせず,立ち去りました.その後も,ミサ後の集いが終わるまで,会場内でも会場外でも何のトラブルもありませんでした.主に感謝します.

我々は,特別ミサを企画する側として,参加者の方々を不快なトラブルから守るために,今後も可能な限りの対策を取って行きたいと思います.

また,我々は,傷つけられた方のために祈るとともに,その方を傷つけた者が神の愛の恵みに気づき,悔悛するよう,祈り続けています.

ルカ小笠原晋也

2016年10月14日