homosexuality に関する日本カトリック司教協議会の見解について
homosexuality に関する日本カトリック司教協議会の見解について
日本カトリック司教協議会が 2015年05月06日付で発表した文書 のなかで homosexuality に言及していることを,最近知りました.わたしは,それに今まで全然気がついていなかったので,ここで取り上げておきたいと思います.
皆さん憶えていらっしゃるように,2014年と2015年に家族を主題とするシノドス (Synodus Episcoporum) が行われ,それを受けて,2016年,教皇
Francesco は使徒的勧告 Amoris laetitia を発表しました.
2014年のシノドスの報告書は,2015年のシノドスを準備するための文書 Lineamenta として発表されました.そして,その際,報告書の内容に関連する 46 の問いが,さらにそこに付加されました.
以下に紹介する文章は,Lineamenta として発表された2014年のシノドスの報告書のうち homosexuality に関連する部分の邦訳,ならびに,付加された
46 の問いのうち homosexuality に関連する部分の邦訳,および,それら 46 の問いに対する 日本カトリック司教協議会の回答 のうち,homosexuality に関連する部分です.
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[2014年のシノドスの報告書から]
homosexual な性的指向を有する人々に対する司牧的注意
55. homosexual な性的指向を有する人々をメンバーとして擁する家族がある.そのことに関して,我々は,そのような状況に対して為すべき司牧的注意について,問いあった
— 教会の教えに準拠しつつ :「homosexual なつながりと,結婚および家族に関する神の計画とを,同列に置くこと,あるいは,両者の間に類似性を認めること
— たとえ遠く離れた類似性であれ — には,如何なる根拠も無い」.とはいえ,homosexual な性向を有する人々は,敬意と心遣いを持って迎え入れられねばならない.「彼れらに対しては,不当な差別の刻印は,如何なるものも,避けるべきである」(教理省,「homosexual
な者どうしのつながりを合法的なものと認める計画に関する考察」(Considerazioni circa i progetti di riconoscimento legale delle unioni tra
persone omosessuali, 4) (2003).
56. この領域において,教会の司牧者たちが圧力を受けることは,まったく容認しがたい.また,国際機関が,貧しい国々に対する財政援助を行うに際し,同性の者どうしの「結婚」の法制化の導入をその条件とすることも,まったく容認しがたい.
[55 および 56 に関する問い]
homosexual な性向を有する人々に対する司牧的注意は,今日,新たな課題を措定している — 特に,社会的水準において彼れらの権利[の問題]が提起されているしかたによって.
40. homosexual な性向を有する者をメンバーとして擁する家族に対して,キリスト教共同体は,如何に司牧的注意を向けるか?あらゆる不当な差別を回避しつつ,如何なるしかたで,homosexual
であるという状況にある人々にかかわることができるか — 福音の光のもとで?彼れらの状況に対する神の意志の要請を,如何に彼れらに提示するか?
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日本カトリック司教協議会の〈問い 40 への〉答え
1.
i. 当事者が一番苦しんでいる。医学的治療に結びつけ、まず,人間として生きていくことができるように支援が必要。長い検査と治療の結果、性別が確定され、それによって生きる道が選択されていくのではないか。
ii. 教会は、同性婚の結婚を認めることができなくても、同性愛は本人の選択によるのではないし、神が拒絶しているとは考えられない。せめて,同性愛の傾向を持つ男女が作る家庭も神に祝福された家庭だというメッセージを発信することが必要だと思う。最近、東京都渋谷区が同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、証明書を発行する条例を可決した(賛成派が過半数をやや上回っている)。
iii. 彼らがさらされている偏見や差別は不当なものであることを,キリスト者は知らねばならない。むしろ、社会的な少数者として受け入れる必要がある。
iv. 結婚の目的についての教会の教えを、絶えず信者たちに教える必要がある。
2.
同性愛者が家庭の中にいると分かれば、イエス・キリストのように愛と憐みの心をもって,「罪人と罪」を区別して,受け入れるしかない。司祭としては、ゆるしの秘跡の時に真実を告げられると、助言する他に方法はない。
3.
i. 裁くことなく、同性愛者とその家族を受け入れる。そして,ともに祈り、聖霊の導きを祈り求める。神の国の福音から誰一人も除外されることはない。
ii. 教会としての考え方を信徒に浸透させる方がよい方法であろう。たとえば、性的マイノリティーの問題について,専門家に話をしてもらう。
iii.「結婚の本質は夫婦愛から生まれるいのちの継承にある」という、神によって示された方向性は決して変えるべきではないが、その在り方については,母なる教会の心をもって対応されるべき。宗教学・医学・科学的見地に立ち、可能な限りの解決策を試み、それでも根本的解決に繋がり得ない場合は、その人の目から涙をすべて拭い去る救いへの努力が求められる。本人たちのせいではなく、神さまから頂いた傾向だと思われるので、秘跡に与る権利があることを本人にはもちろん,家族にも話すことは大事。
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若干のコメントを述べておきたいと思います.
まず,すぐに気づくことができるように,どうやら,日本カトリック司教協議会は,sexual orientation[性的指向]と gender
identity[性同一性]とを区別し得ていないようです.というのも,Lineamenta においては homosexuality — つまり性的指向にかかわること
— についてしか問われていないのに,日本カトリック司教協議会の回答においては「性別の確定」— つまり性同一性にかかわること — への言及が為されているからです.まずは日本のカトリック教会のなかで
LGBTQ+ および SOGI (sexual orientation and gender identity) に関する初歩的な学習が必要であることが,示唆されます.
「当事者が苦しんでいる」— それは確かです.しかし,その苦しみを惹き起こしているのは何か?それは,LGBTQ+ に対する社会の偏見と差別であり,homosexuality
を断罪するカトリック教会の教義であり,そして,性別男女二元論 (gender binarism) に固執する一般的な固定観念です.今,Vatican
では,教皇 Francesco も含めて,gender という単語を聞くと "gender ideology" が自動的に連想されるようですが,むしろ,性別男女二元論こそがひとつの形而上学的なイデオロギーです.教皇
Francesco が強調する「男と女の差異」は,性的なものではなく,Heidegger が「存在論的差異」と呼んだものに還元されます(詳しくは,『LGBTQ とカトリック教義』第 2 部「教皇 Francesco の生と性の神学」を参照).
「医学的治療に結びつけ」— もはや,homosexuality も transgenderism も,そのものとしては,精神疾患とは見なされていません.
「人間として生きてゆくこと」— LGBTQ+ の人々は人間です.各人が,今,あるがままに,人間として生きています.彼れらが「人間的に」生きてゆくことができるようになるためには,先ほども指摘したように,1)
LGBTQ+ に対する社会の偏見と差別 ; 2) homosexuality を断罪するカトリック教会の教義 ; 3) 性別男女二元論に固執する一般的な固定観念,それら三つのものを取り除く必要があります.
「homosexual であることは本人の選択の問題ではなく,LGBTQ+ の人々を神が拒絶しているとは考えられない」— そう断言していることは,評価できます.
「homosexual の人々がつくる家族も神に祝福されている,というメッセージを発信することが必要だ」— 大賛成!是非,早急に実行しましょう.また,地方自治体による同性パートナーシップの認定に言及していることも,評価できます.
「LGBTQ+ の人々がさらされている偏見や差別は不当なものであることを,キリスト者は知らねばならない.むしろ,社会的な少数者として,彼れらを受け入れる必要がある」—
そのとおりです.ただし,LGBTQ+ に対する偏見と差別にカトリック教会が加担していることを,自覚し,反省する必要があります.特に,homosexuality
に対する断罪の教義と,性別男女二元論への固執が,問題です.
「結婚の目的に関する教会の教え」— 本質的に言って,それは何でしょうか?後段ではこう述べられています :「結婚の本質は,夫婦愛から生まれる命の継承にある」.そこで言う「命の継承」とは,如何なることでしょうか?まず,形而上学的な
lex naturalis[自然法]の先入観を捨てましょう.そして,性別男女二元論も,生物学的な生殖を前提とする固定観念も,捨てましょう.結婚は,愛し合うカップルの愛のきづなに存します.「結婚を創造するのは,神自身である」(カテキズム
1603)— なぜなら,神は愛であるからです.ですから,教会は,異性カップルであれ,同性カップルであれ.愛し合うカップルの愛のきづなを祝福し,それを秘跡と認めるべきです.そこに差別があってはなりません.また,「命の継承」は生物学的な生殖によるものに限られる必要はなく,親子関係は
adoption[養子縁組]によるものであってもよいはずです.同性カップルは,養子を迎え,その子を新たな命としてはぐくみ,信仰を伝えてゆくことができます.その側面を,教会は無視してはなりません.
「homosexual である者が家族のなかにいるとわかれば,イエスキリストのように愛と憐みの心をもって,罪人と罪とを区別して,受け入れるしかない。司祭としては、ゆるしの秘跡のときに真実を告げられたなら,助言するほかに方法はない」—
この言説は,もはや容認しがたいものです.カトリック教会は,homosexuality を断罪することをただちにやめるべきです.homosexuality
は,神のみわざです.神は,homosexual である人々を,そうであるがままに創造しました.homosexuality を断罪することは,homosexual
の人々を創造した神を断罪することにほかなりません.そして,homosexual である人々と,彼れらの愛の行為とを区別することも,許されません.ふたりの人間が愛しあうことも,神のみわざです
— 異性どうしであれ,同性どうしであれ.また,今や,カトリック教会による homosexuality に対する断罪がカトリック聖職者の pedophilia
の原因のひとつであることから目をそむけ続けることはできません.
「裁くことなく、homosexual の人々とその家族を受け入れる。そして,ともに祈り、聖霊の導きを祈り求める。神の国の福音から誰一人も除外されることはない」—
賛成です.そして,聖霊は我々をどう導いているでしょうか? homosexuality を断罪することをやめなさい,と我々に告げていないでしょうか?神の愛の福音を聴くよう,耳を開くときです.
「教会としての考え方を信徒に浸透させる方がよいだろう。たとえば、性的マイノリティーの問題について専門家に話をしてもらう」— まず,大司教様,司教様,神父様たちが,LGBTQ+
と SOGI に関する初歩的なことがらを勉強してください.勿論,一般信徒へ教えることも有意義です : LGBTQ+ の人々を,神の全包容的な愛にしたがって,如何なる差別もなしに,教会へ迎え入れましょう
; homosexuality を断罪するカトリック教会の教義が,如何に形而上学に毒されており,神の愛に反しており,しかも,それは司祭の pedophilia
問題の原因にすらなっている,ということを,カトリック信者皆に知ってもらいましょう.
homosexual であることは「本人たちの選択によるのなく、神さまからいただいたものだと思われるので,[homosexual の人々も]秘跡に与る権利があることを,本人にはもちろん,家族にも話すことはだいじ」—
そのとおりです.LGBTQ+ であることは,神から与えられたことです.LGBTQ+ の人々は,あらゆる人間と同じく,神の被造物です.そして,そのようなものとして,あるがままに,存在尊厳を与えられています.結婚に関することも含めて,如何なる差別もカトリック教会のなかでは容認され得ません.