Richard Rohr 神父のブログから — 聖書の homophobic な箇所をどう読むかの示唆
Richard Rohr 神父のブログから — 聖書の homophobic な箇所をどう読むかの示唆
LGBTQ+ 人権擁護のために積極的に活動している Richard Rohr 神父 OFM が,彼のブログ のなかで,1999 年に出版された論文集 Homosexuality and Christian Faith のなかに神学者 Walter Wink 牧師が書いた Homosexuality and the Bible の一節を紹介しています.James Martin 神父 SJ が SNS でその記事を紹介していたので,目にとまりました.以下に,邦訳を提示します.
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より深い意義
わたし [ Fr Richard Rohr ] の友人,故 Walter Wink — メソジスト牧師,聖書学者,神学者,非暴力活動家 — は,gender
および sexuality との宗教の格闘を,歴史的な展望のなかへ位置づけることによって,いかに Jesus が被抑圧者と抑圧者をともに解放しているかを学ぶ機会を,改めて提供してくれている.
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[以下,Walter Wink の Homosexuality and the Bible からの一節]
ともあれ,聖書は,同性どうしの性的行為に言及するとき,それを明らかに断罪している.わたしは,そのことを率直に認める.問題は,まさに,聖書の判断は正しいのか否か,ということである.たとえば,聖書は,奴隷制を容認しており,それを不当なものと攻撃してはいない.では,今日,我々は,奴隷制は聖書によって正当化されている,と論ずる気になるだろうか?150
年以上前,奴隷制の当否について盛んに議論されていたとき,聖書は,明らかに,奴隷制支持論者の側に与しているように思われていた.奴隷制廃止論者たちは,聖書にもとづいて反奴隷制論を正当化するのに苦労していた.ところが,今日,米国南部のクリスチャンたちに「聖書は奴隷制を容認しているか?」と問えば,答えは,ほぼすべて,「否」で一致するだろう.同様に,今から
50 年後に現時点をふりかえって見れば,人々は,神の聖なる息吹が我々の社会のなかで sexuality に関して為した新たなわざに対して,キリスト教会がかくも鈍感であり,かくも抵抗的であったことを,いぶかしく思うことだろう.
奴隷制に関してそのように記念碑的な変化をもたらしたものは,次のことである:すなわち,キリスト教会は,ついには,聖書の律法的な性格を超えて,より深い意義
— それは,イスラエルによって,出エジプトの経験と預言者たちの経験にもとづいて述べられており,そして,Jesus が自身を娼婦,徴税人,病者,障碍者,貧者,社会から見棄てられた者たちと同一化していることにおいて崇高に具象化されている
— へ到達するよう,促された,ということ.すなわち,神は,無力な者たちの側に位置しており,抑圧されている者たちを解放し,苦しむ者たちとともに苦しみ,すべてのものの和解のためにうめき声をあげているのだ.それゆえ,Jesus
は,先天的な障碍や生物学的な条件や経済的な挫折のせいで〈人間社会や宗教によって〉「罪人」と見なされた者たちのところに立ち寄って,「あなたの罪は赦された」,「あなたたちは無条件に愛されている」と宣言した.そのような崇高なあわれみの光のもとでは,我々の
gay に関する立場がいかなるものであれ,「愛せ」,「無視するな」,「苦しみを分かち合え」という福音の命令は,見まごうかたなく明瞭である.そして,勘違いしないでおこう
— LGBTQ+ であることを祝福する世俗的な文化にもかかわらず,彼れらのなかにはなおも深い苦悩があり,しかも,それは,最もしばしば,彼れら自身の家族やキリスト教会によって惹き起こされている.
同様に,女性たちは,聖書のなかに性差別と家父長主義 — それらのせいで,かくも多くの女性たちが,キリスト教会から疎外されている — が蔓延していることを認めるよう,我々に催促している.その出口は,聖書のなかの性差別を否認することではなく,しかして,聖書さえをも
Jesus における啓示の光のもとで裁き得る解釈学を発展させることである.Jesus が我々に与えてくれたものは,あらゆる形態における支配に対する批判
— 聖書そのものへも向けられ得る批判 — である.そのように,聖書は,聖書自身を正す原理を包含している.我々は,聖書を偶像崇拝することから,解放される.聖書は,神のことばの証しとしてのその本来の座へ位置づけ直される.そして,神のことばは,書物ではなく,ひとりの人[三位一体を構成する三つの位格のひとつ]である.
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[Richard Rohr 神父による補足]
我々は,奴隷制,死刑,体罰,重婚,ある種の子育て方法,相続制度,有利子融資,商業一般などに関して,聖書が編纂された当時は,一見,容認され得たと見える多くの問題について,正義と公平の方向へ進んできた.我々が
LGBTQ+ の人々を拒絶し,彼れらを我々の教会へ全的に包容することを拒み,法によって平等に保護される権利を彼らに否むことによって,彼れらが被ってきた苦しみを,我々クリスチャンは,終わらせ,癒す作業の最前線に立つべきだ,と
わたしは思っている.
(翻訳:ルカ小笠原晋也)